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福岡高等裁判所 昭和63年(う)482号 判決 1989年5月30日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一五〇日を原判決の無期懲役刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人我妻正規及び同八尋光秀が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官中倉章良が提出した答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、原判示の各事実に対する事実誤認の主張について

所論は、要するに

(1)  原判決は、被告人がXやAらを統括し、台湾からの覚せい剤の密輸入と国内における売りさばきを繰り返していたとしたうえ、原判示第一及び第二の各事実をその各判示の共犯者と共謀して犯したと認定している(「犯行に至る経緯」を含む。)が、被告人はXらとともに昭和六一年三月と同年四月の二度台湾から覚せい剤を密輸入等したことはあるものの、その後の覚せい剤の密輸入や密売には関与していなかったものであり、原判示第一及び第二の各事実を被告人が各判示の共犯者と共謀して犯したようなことはない

(2)  原判決は、被告人が原判示第三の覚せい剤をKに譲渡したと認定しているが、被告人はMからKへの譲渡の仲介をしたに過ぎず、被告人自身が譲渡したのではない

(3)  原判決は、被告人が原判示第四のような脅迫をLに加えたと認定しているが、被告人は原判示第四の日時場所においてAとLとの間のカラオケ機器の販売に関する交渉に立ち会ったことはあるものの、Lに脅迫を加えるなどしたことはない

のであって、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係各証拠によれば、右の諸点を含め原判示第一ないし第四の各事実(第一及び第二の犯行に至る経緯を含む。)は優にこれを認めることができ、その他原審記録を調査し、当審における事実取調の結果を併せ検討してみても、原判決に所論のいうような事実誤認の疑いを入れるには至らない。

以下、右の(1)ないし(3)の点について、右のとおり判断した理由をそれぞれ補足して説明することとする。

(1)について

Xの検察官に対する各供述調書謄本及び同人に対する大蔵事務官の各質問調書謄本は、Xが被告人らと共謀のうえ台湾からの覚せい剤の密輸入を企て、被告人において資金を提供して密輸入と国内における密売を統括し、Xにおいて主に台湾側共犯者であるBらとの交渉や代金決裁等を担当して、昭和六一年三月以来、同年四月、同年六月、同年九月、同年一〇月とその密輸入を繰り返しこれを国内において売りさばき多額の利益を得ていたことや、被告人らと共謀のうえ、その後更に原判示第一の覚せい剤の密輸入を企てこれを実行した状況等について、Aの検察官及び司法警察員に対する各供述調書謄本並びに同人に対する大蔵事務官の各質問調書謄本は、被告人が組長をしている暴力団乙田組若頭補佐であるAが、昭和六一年六月刑務所を出所後、被告人の指示で台湾からの覚せい剤の密輸入と国内における密売の共謀に加わり、主に覚せい剤の保管や国内における売りさばきとその売却代金の管理を担当して、同月、同年九月、同年一〇月とその密輸入を繰り返しこれを国内において売りさばき多額の利益を得ていたことや、被告人らと共謀のうえ、その後更に原判示第一の覚せい剤の密輸入を企てこれを実行した状況及びこれと同年一〇月に密輸入したものの一部を併せ原判示第二の覚せい剤を所持していた状況等について、Yの検察官に対する各供述調書謄本及び同人に対する大蔵事務官の各質問調書謄本は、Yが昭和六一年九月ころXから覚せい剤の密輸入への加担の誘いを受けてその共謀に加わり、同年一〇月の密輸入において台湾から運搬されてきた覚せい剤の海上での受取りと国内での陸揚げを担当し、被告人らと共謀のうえ、その後更に原判示第一の覚せい剤の密輸入を企てこれを実行した状況等について、それぞれ具体的かつ詳細に述べるものであり、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書も、自らの台湾からの覚せい剤の密輸入と国内における密売への加担を認めるものであって、右各供述は、それぞれその内容自体において自然かつ合理的であり、また相互にもよく一致しているばかりか、Eの検察官に対する供述調書が、被告人らと共謀して昭和六一年三月から同年九月までの四回の覚せい剤の密輸入に加わり、その海上での受取りと国内での陸揚げ等にあたった状況についていうところや、Aの内妻であるJ子の検察官に対する各供述調書謄本が、Aが出所した同年六月以降における覚せい剤の保管やその国内における売却代金の管理にも関与し、郵便小包で送られてきた覚せい剤密売代金を被告人の指示により被告人の妻であるN子に渡したことや、原判示第二の覚せい剤を所持していた状況についていうところに、あるいはD及びPの検察官に対する各供述調書謄本が、被告人から大量の覚せい剤を譲り受け、その代金として多額の金員を送った状況についていうところや、更にはN子の検察官に対する各供述調書が、被告人の指示により、AやJ子から多額の現金を受け取って保管し、その一部をXに渡した状況についていうところなどとも符合し、その他客観的な証拠により明らかな事実であるX、A、Y、Bらの出入国状況、被告人、X、A、Y、Bらのホテルでの宿泊状況、Xと被告人間等の電話での通話状況、被告人、X、Aの管理していた銀行預金口座の入出金状況、国内における覚せい剤売却代金の送金に用いられた郵便小包の配達状況等とも非常によく整合しているので、前記各供述は、その信用性を認めるに充分であるのに対し、被告人の原審(第六回公判以後)及び当審公判廷における各供述は、原判示第一及び第二の各事実への加担を否定し、所論に副うものであるが、その内容は不合理不自然であって客観的な事実との整合性にも乏しく、とうてい措信できないものであることが明らかである。

ちなみに右各証拠を総合すれば、被告人が台湾からの覚せい剤の密輸入と国内における密売を統括して原判示第一及び第二の各事実を犯すに至ったことを示す具体的な事実として

①  昭和六一年一〇月二日台湾からBらが来日して、那覇スカイプラザホテルで被告人やYと顔合わせをし、被告人、X、A、Yとの間に五回目の覚せい剤密輸入の交渉や打ち合わせを行ったこと

②  Xは、昭和六一年一二月一四日ホテルクリオコート博多で台湾から来日したBと六回目の覚せい剤の密輸入の交渉をするに際し、右ホテルから被告人に電話をして密輸入の量や代金の支払い方法等についてその指示を仰いだうえ、原判示第一の覚せい剤の密輸入を行うことを決したこと

③  Yは、昭和六一年一二月二七日原判示第一のとおり、台湾漁船億昇財から漁船第三甲野丸に覚せい剤を積み替えいったん安房港に入港したが、その直後警察官から職務質問を受けるに至り、Xにおいても海上保安庁がYを探していると知ったことから、これを那覇スカイプラザホテルに泊まっていた被告人に電話で報告し、被告人においてYに電話をして、覚せい剤は見つからないで他所に保管してあるとの確認を得たこと

④  Xは、昭和六二年一月一八日ころ、被告人の指示によりN子が保管していた覚せい剤売却代金を受け取って、台湾のBらに支払うべき原判示第一の覚せい剤の代金の一部五〇〇〇万円とYに支払うべき報酬一三〇〇万円に充てたこと

などが認められるのであるが、右①ないし④の点についての被告人の弁解は、以下にみるとおり完全に破綻しており、事実を歪曲し虚実を取り混ぜながら自らの罪責を免れようとするに過ぎないものであることが明白である。すなわち

①について、被告人は、昭和六一年一〇月二日那覇スカイプラザホテルでBらと会ったことは間違いないけれども、会った理由は、Xが、Bらの中のひとりが台湾からの鯨の肉の密輸入にも関係しているので、密輸入してくる船がいつどこに入港するかを聞き出して、その密輸入船が帰ってきたところを押さえ、鯨の肉を半分位横取りしようと考え、自分にその聞き出し役を頼んだからであるというのであるが、鯨の肉の密輸入船の入港先を聞き出して半分位横取りするなどという話が現実味に乏しいことは他言を要しないし、覚せい剤の密輸入によって莫大な利益を得ながら、その密輸元の信頼を損ね密輸入ルートを失いかねない行為に出るというのも、不合理不自然であって、被告人の右弁解は全く信用できない。

②について、被告人は、昭和六一年一二月一四日ころ、台湾から来日したBと覚せい剤密輸入の交渉をしていたXから電話を受けたが、同人はAと連絡がつかないから自分に連絡がつかないか聞いてきたもので、自分に覚せい剤密輸入の指示を仰ぐために連絡してきたわけではないというのであるが、被告人はその電話の際、Xが「向こうは前金として三〇〇〇万円欲しいと言っている。」と言うので、自分が「そんな金ない。」と言うと、Xは何か電話口で話をして、今度は「一〇〇〇万円でもいいから。」と言ってきたので、自分は「前金払ってまで買わんでいい、断っとってくれんな。」と言ったともいうのであって、覚せい剤密輸入の当事者ではないとする被告人にXが交渉の具体的な指示を仰いだり、これに対し被告人が即座に取引拒絶の指示を与えたりしているのは、まことに奇異というほかなく、被告人の右弁解の不自然さは明らかである。

③について、被告人は、昭和六一年一二月二八、九日ころ(正しくは二七日である。)那覇スカイプラザホテルに宿泊中であったが、いつも居場所を連絡しあっていて自分の宿泊先を知っていたXからそこに電話がかかり、Yが台湾船と接触しているところを人に見られ、海上保安庁から連絡を受けた警察官に事情聴取を受けたということを聞いたが、その際Xは、Yに電話を入れたら盗聴されるかも知れないから四、五日連絡しないでくれと同人に言われたというので、被告人においてYに電話をしたものであるというのであるが、Xがなぜ被告人の宿泊先を知っていて、なぜ被告人にすぐさま連絡したのか、盗聴されているかもしれないのに、なぜ被告人がYに電話して覚せい剤がどうなったかを確認する必要があったのかなど、被告人のいうところでは容易に納得し難いが、被告人が覚せい剤密輸入の首謀者であればそこになんの疑問も生じない。

④について、被告人は、原審においては、昭和六二年一月中旬ころ、Xから台湾のBらに支払うべき原判示第一の覚せい剤の代金を都合して欲しいと相談され、かつて一回目の密輸入の資金等として自分が出して、その後Aから返済してもらいN子に保管させていた五〇〇〇万円を同女に指示してXに貸し渡させ、この金は同年一月から二月にかけてAから返してもらったというのであるが、昭和六一年三月からの五回にわたる覚せい剤の密輸入と密売により莫大な利益が揚がっていたのに、被告人が当初に出した資金等の回収がN子の下に現金入りの郵便小包の届けられた同年一二月までなされていなかったとは考え難いだけでなく、被告人は、昭和六二年一月五日まで大牟田に帰っていた時に、その五〇〇〇万円が四個(正しくは三個であると思われる。)の郵便小包の箱の中に入っているのを見たが、その箱は封をしてあったのもなかったのもあるともいうのであるところ、N子の検察官に対する供述調書謄本が、AかJ子かが届けてきた二つ目の郵便小包について、Aから電話で中の金額を確かめるよう頼まれたと述べていることとも考え併せると、Aは郵便小包の中の金額を確認しないでそのままN子に渡していたものと認められるが、これは金銭の返済方法としては不自然であるし、またJ子の検察官に対する供述調書謄本によると、郵便小包はJ子の下に配達されたその日のうちにN子に渡されていたことが認められるけれども、そのうちの同月(昭和六二年一月)七日と同月一三日に配達されたものは、最初の分の返済は既に済んでいるはずであるし、後のXへの分はまだ貸していないことになるのであるから、被告人のいうAからの返済としてはとうてい説明のつかないものであり、また被告人は、当審においては、N子に保管させてXに渡した金はAから返済すべき金があるからといわれて預かっていたものであると供述を変更しているけれども、これとても右の諸点をなんら合理的に説明するに足るものではなく、被告人が覚せい剤密輸入と密売を統括する立場にある者(首謀者)であればこそ、Aらが被告人の指示を受けて密売代金を被告人の妻N子の下に届け、被告人の指示によりその妻が台湾側に支払うべき覚せい剤代金等としてXに手渡したとみるのが、最も自然かつ合理的である。

ところで所論は、XやAは自らの責任を軽減するために被告人を主犯とする虚偽の供述をしているというので一言するに、なるほどXやAが覚せい剤の密輸入とその密売により自らの得た利益についていうところには、過少に述べているとの疑いがないわけではないけれども、長期間にわたる覚せい剤の密輸入や国内での密売に対する被告人の具体的な関与を客観的な事実と整合させながら捏造して供述することはとうてい不可能であって、XやAが自らの責任を軽減するために被告人を主犯とする虚偽の供述をしたとの疑いを差し挟む余地はなく、むしろAは、当初は自己の所属する暴力団の組長である被告人を庇い、被告人の名を出すことなくあるいは被告人の行為を自己の行為として供述していたが、被告人の加担を示す証拠が歴然としているため、ついには被告人を主犯としての供述をなすに至ったものであることが認められるのであり、XやAが、被告人は原判示第一及び第二の各事実を各判示の共犯者らと共謀して犯したものであるとして述べるところの信用性は高いというべきであって、所論にはとうてい組することができない。

所論はまた、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書更には被告人の原審第四回公判調書中の供述部分(原判示第一及び第二の各事実に対する陳述)は、捜査官の脅迫や強要、利益誘導によりなされたもので、任意性に欠け、信用性もないというのであり、被告人は原・当審公判廷において、右の自白は捜査官の脅迫や強要、利益誘導によってやむなくした虚偽のもので、前記の弁解が真実である旨縷々述べているのであるが、被告人の右各供述調書等を除く原判決挙示の関係各証拠によっても、原判示第一及び第二の各事実は優にこれを認めることができるうえ、被告人の前記の弁解が全く措信できないものであることは前叙のとおりであり、その弁解と一体となって捜査官の脅迫や強要、利益誘導についての供述がなされていることからすれば、これもまたそのままには措信し難く、事犯の重大性や嫌疑の明白性からして、被告人に対しては相当に厳しい追及がなされたであろうことは容易に考えられるが、捜査官が被告人に対し、その自白の任意性に疑いを入れるべき脅迫や強要、利益誘導を加えたとまでは認められず、その自白の信用性についても欠けるところはないというべきであって、所論には左袒できない。

原判決に所論(1)のいうような事実の誤認は存しない。

(2)について

被告人の検察官に対する昭和六二年五月一四日付及び司法警察員に対する同月九日付各供述調書及びその原・当審公判廷における各供述は、所論に副うものであり、これによると、被告人はKから覚せい剤の譲渡の依頼の電話を受け、以前覚せい剤の処分先の紹介を頼まれていたMに聞いて一キログラムの譲渡が可能である旨伝えた後、電話を同人と交代して同人とKとの間で値段の交渉が行われ、原判示第三の覚せい剤の譲渡はMとKの間で行われたというのであるが、被告人は司法警察員に対する同年四月二二日付供述調書においては、右覚せい剤はAが譲渡したものであるかのような供述をし、検察官に対する同年五月二日付供述調書(原審第二回公判で弁護人の同意により取り調べたもの)においては、自らKに譲渡したことを認めていたものであって、所論に副う被告人の右供述は一貫性に欠けるとともに、その供述の変遷に対する被告人の弁解、すなわちAが自分の身代わりになると申し出たことから、当初そのような供述をしたというのも、Mのことを述べない理由としての合理性に乏しいだけでなく、Kの検察官に対する各供述調書は、右覚せい剤は大阪刑務所で服役中知り合った被告人に電話で依頼して譲り受けたものであり、電話に出たのが被告人であることはその声で分かった旨明確に述べていて、そのいうところに何ら不自然不合理な点はないし、また原審第五回公判調書中の証人Kの供述部分は、被告人の面前を憚り回避的な傾向が顕著で、乙川一家に電話をして被告人と思っていた相手と右覚せい剤の譲渡の話をしたが、被告人本人であったかどうかは分からないなどというものではあるものの、その話は全部被告人と思っていた相手としたもので、電話の途中でMなどが出て話をしたことはないというものであって、被告人もKと右覚せい剤譲渡に関して電話で話をしたことは認めており、同人が被告人と思っていた相手が被告人であったことに間違いはないのであるから、右覚せい剤の代金が被告人の指定したQの預金口座(右預金口座は被告人の妻N子が同女の伯母の夫に該るQの名前を用いて開設したもの)に振り込まれていることをも考え併せると、右Mと右K間の譲渡の仲介をしたにすぎない旨いう被告人の右供述は、自らの罪責を既に死亡しているMに転嫁しようとしたものとみるのが相当であり、とうてい措信できるものではなく、前記Kの検察官に対する各供述調書、原審第五回公判調書中の証人Kの供述部分を含む原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人がKに原判示の覚せい剤を譲渡したものであることは充分認めることができ、これに疑問を入れる余地はない。

原判決に所論(2)のいうような事実の誤認はない。

(3)について

原判決挙示の関係各証拠のうち、Lの検察官及び司法警察員に対する各供述調書謄本は、原判示の脅迫を受けたことを明確に述べるものであるのに対し、被告人の司法巡査に対する各供述調書、原審第一回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の原・当審公判廷における各供述及びAの検察官に対する各供述調書謄本は、被告人やAのいずれにあっても、あるいは少なくとも被告人において、Lに原判示のような脅迫を加えたことはない旨いうものであるが、Lのいうところは、被告人らの所属する暴力団乙川一家へのみかじめ料の支払いを拒んだことなどから、被告人及びAから同一家の者が大牟田においてカラオケ機器のリース業を営むので大牟田から出て行くように脅された旨、被害を受けるに至った経緯や被害状況、その後の対応等いずれも具体的に述べるものであり、その内容は自然かつ合理的で真実性に富み、客観的な事実関係とも整合しているのに対し、被告人やAのいうところは相互に食い違っている点があるだけでなく、Aのいうところによれば、同人が無償でLの大牟田におけるカラオケ機器のリース業を譲り受ける交渉であったというのであって、このような自分勝手な交渉が暴力団の勢威を背景にした威圧的言動なくしてはなしえないことを考えると、被告人及びAが原判示のような脅迫を加えたことはない旨いうのは、その内容自体において不合理不自然であって、被告人の罪責を免れしめるため虚実を取り混ぜて述べているに過ぎないことが明らかであるから、原判決がこれらの証拠の評価にあたり、Lのいうところを信用し、被告人やAのいうところを採用しなかったのは当然である。

所論は、土曜日の混み合う時間帯のファミリーレストランの中で、被告人やAがながながと原判示のような文言で怒鳴りつけることがあったとは考えられないというが、Lは「大声で」脅されたとはいっておらず、「すごみのある声で」脅されたといっているのであり(したがって、脅迫が大声を出してなされたとは認め難く、その意味では原判示の「怒鳴りつけ」との表現はやや妥当を欠くとはいいうる。)、一方、大声を出さなくても語気鋭く凄味をきかせて脅迫することは右のようなファミリーレストランの中でも充分なしうることであるから、被告人やAが大声を出さなかったことをもってLの供述の信用性を否定する論拠とし、または被告人、Aの犯行を否定する徴憑とすることはできない。

原判決に所論(3)のいうような事実の誤認はない。

以上のとおりであって、原判決に所論(1)ないし(3)のいうような事実の誤認はなく、論旨はいずれも理由がない。

控訴趣意中、本刑に対する量刑不当の主張について

所論は、要するに、被告人を無期懲役及び罰金一〇〇〇万円に処した原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、原審記録に当審における事実取調の結果をも併せ検討するに、本件は、自己が組長をしている暴力団の配下組員らと共謀して、台湾から覚せい剤約二四三・九三一キログラムを営利の目的で輸入するとともに、税関長の許可を受けないで貨物を輸入し(原判示第一)、右組員及びその内妻と共謀して、覚せい剤約二五三・二一一キログラムを営利の目的で所持し(同第二)、覚せい剤約九七七・六四九グラムを営利の目的で譲渡した(同第三)ほか、右組員と共謀して、カラオケ機器販売業者に団体の威力を示すとともに数人共同して脅迫し(同第四)、大麻樹脂約七五・九四八グラムを所持した(同第五)という事案であるが、原判決が「量刑の理由」において述べるとおり、本件輸入及び所持に係る覚せい剤の量は膨大かつ空前のもので、これが社会に流出拡散された場合の害悪は計り知れないものがあり、その密売によりおよそ二億五〇〇〇万円もの不当な利益を得ようとしていたのであって、極めて重大かつ悪質な事犯というほかないこと、被告人は暴力団組長として台湾からの覚せい剤密輸入とその国内における密売を指示、統括した首謀者であり、これによる利益の大半を取得する立場にあったものであるにもかかわらず、原審第六回公判以降は不合理不自然な弁解を重ねて反省の情に乏しいこと、本件覚せい剤譲渡もそれ自体相当に重大悪質な事犯であり、その他の本件各犯行もそれぞれに悪質あるいは軽微とはいえない事犯であるところ、被告人は大麻樹脂の所持以外の罪についてはやはり不合理な弁解に終始して反省の色が薄いこと、本件各犯行の内容、罪質、態様に被告人の原判示の累犯前科を含む多数の前科やその暴力団歴に照らし、被告人の反社会的な人格態度は顕著であることに徴すると、犯情は非常に悪く被告人の責任は極めて重大であるといわざるをえず、その他被告人の年齢、経歴、性格、生活態度、共犯者に対する科刑の状況等をも総合勘案すれば、被告人に対しては無期懲役以外の刑は考えられず、罰金額についても一〇〇〇万円を下りうるような情状の事案ではなく、原判決の量刑はまことに相当なものであるから、これが重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

控訴趣意中、未決勾留日数の本刑への不算入の点に関する主張について

所論は、要するに、被告人は昭和六二年二月二八日から昭和六三年九月二六日に原判決の言渡を受けるまで未決勾留されていたのに、原判決が右未決勾留日数を全くその本刑に算入しなかったのは、未決勾留日数の算入に関する法令の解釈を誤ったか、あるいは勾留に関する事実を誤認したかによるものであり、刑の量定としても不当である、というのである。

しかしながら、未決勾留日数の算入は裁判所の裁量に属することがらであって、これを全く本刑に算入しなかったとしても、未決勾留日数の算入に関する法令の解釈を誤ったことにはならないし、原判決が勾留に関する事実を誤認したことを窺わせるなにものも存しないので、論旨のうち法令の解釈の誤りと事実の誤認をいう部分はまずもって理由がない。

ところで、原判決は原判示第一の罪につい無期懲役刑及び罰金刑を選択し、懲役刑については無期懲役に処すべき場合であるとして、右罪と刑法四五条前段の併合罪の関係にある原判示第二ないし第五の各罪に対する罰金及び没収以外の他の刑を科さなかったものであるところ、被告人は昭和六二年二月二八日から同年三月二一日までは原判示第四の、同月二二日から同年四月二四日までは原判示第四及び第五の、同月二五日から同年九月四日までは原判示第三ないし第五の各事実についてのみ未決勾留されていたのであるから、原判決がこの間の未決勾留日数を本刑に算入しなかったことには相当な理由がある。そして、被告人が同月五日原判示第一(但し、関税法違反の事実を含まず。)及び第二の各事実について勾留され、同月二四日起訴(但し、関税法違反の訴因追加前の公訴事実)された後、原審裁判所は同年一一月一六日(第三回公判)から昭和六三年九月二六日(第一一回公判、原判決の言渡期日)まで九回公判を開廷して、第四回公判においては原判示第一及び第二の各事実に関する多数の書証の取調を、第五回公判においては原判示第三の事実に関して証人Kの尋問を、第六回ないし第八回公判においては原判示の各事実に関して被告人質問を、第九回公判においては弁護人申請の証人A及び同N子の尋問を行うなどの証拠調をし、公判期日外の同年一月二六日には原判示第一及び第二の各事実に係る覚せい剤の検証を行っているのであって、この間被告人が第四回公判の被告事件に対する陳述の機会に原判示第一及び第二の各事実をほぼ認めておきながら、第六回公判における被告人質問以降これを否認する供述に変遷させたため公判を重ねる必要のあったことや、そもそも無期懲役刑は無期限の刑であって、これに対する未決勾留日数の算入は恩赦により有期懲役刑に減刑された場合や仮出獄の要件である「十年を経過したる後」に関して算入された未決勾留日数を差し引いて算出すべきものと解した場合などに利益があるに止まることをも考え併せると、原判決が、昭和六二年九月五日から昭和六三年九月二五日まで(所論は原判決言渡の日までというが、原判決言渡の前日までと解すべきである。)の未決勾留日数三八七日を全く本刑に算入しなかったことをもって、刑の量定として不当であるとまではいうことができない。論旨のうち量刑不当をいう部分もまた理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して、当審における未決勾留日数中一五〇日を原判決の無期懲役刑に算入することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丸山明 裁判官 池田憲義 森岡安廣)

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